2026.04.01
講演記録:越後幸太郎氏「もう一歩先のフィールドへ――人と技術で未来を“健”設する」
2026年3月16日に開催された、、第3回「SDGsとその先を見据えた理念経営・共感経済セミナー」から、越後幸太郎氏(日本体育施設株式会社 代表取締役)の講演内容を全文記録したものです。 セミナーの開催記録については、活動報告をご覧ください。
もう一歩先のフィールドへ――人と技術で未来を“健”設する
SDGs時代の理念経営と2030ビジョン
日本体育施設株式会社 代表取締役
越後幸太郎氏
みなさま、こんばんは。日本体育施設株式会社の社長を務めております、越後幸太郎と申します。本日はこのような場をいただき、本当に感謝申し上げます。
私が社長という立場になりまして、この5月で丸3年を迎えます。経営者としての経験はまだまだ未熟な部分もありますので、本日は何をお話ししようかと考えてまいりました。私は中学・高校・大学と陸上部に所属しており、日本体育施設では国立競技場の施工などにも携わってきました。私の会社人生は、陸上競技との関係が非常に深いものになっています。入社当時の動機から始まり、会社での経験を積む中で視点が少しずつ広がり、今この社長という立場になって、自分の当初の想いと会社の理念が少しずつ近づいてきているのを感じています。本日は、私がこれまで経験してきたことが、いかにして当社の企業理念や「2030年ビジョン」に結びついていったのかを中心にお話ししたいと思います。あわせて、スポーツ施設において最近どのような環境や気候変動、健康へ配慮した技術が実装されているのかについても交えながらお話しさせていただきます。よろしくお願いいたします。
1:日本体育施設の紹介
1.1:日本体育施設の歩みと3つの事業柱
まず、簡単に会社の紹介をいたします。

日本体育施設は、1971年に創業し、間もなく55周年を迎えます。現会長である奥裕之の父が創業者であり、私は5代目の社長です。簡単に言いますと、「グラウンド屋さん」とよく呼ばれるように、スポーツ施設のフィールド部分を主に施工している建設業に分類される会社です。本社は中野区にあり、全国各地に支店・営業所を置いて、大規模なスタジアムから学校の校庭、テニスコートに至るまで、サーフェイス(表層)部分の施工を主に行っています。直近の売上高は91億円ですが、2年前には会社として初めて売上高100億円を達成することもできました。歴代の社長が積み上げてきてくれたものが、ようやく100億という形にたどり着いたと感じております。
会社としては、スポーツ施設の建設の部分がだいたい売り上げの85%ぐらいを占めます。もうひとつがスポーツターフという分類で、サッカー場とか野球場とか、そういったところの天然芝の管理をする業務をやっております。これがだいたい売り上げ的には5%ぐらいで、もうひとつがパークマネジメントといって、公園の管理・運営の部分です。
スポーツターフやパークマネジメントを始めたのは、作っているだけでは利用されている方の声がなかなか届きにくいからです。作って終わりではなく、そこを使っていただいた方の声を会社の経営に反映していかないと、いいものは作っていけないということですね。パークマネジメントは、建設とは毛色が違いますが、同じ一つの企業の中で事業部を設置して取り組んでいます。

これは会社の歩み、主な実績です。
1971年に創業し、最初の20年くらいは時代背景もあり、主に土の舗装——クレイ舗装といいますけど——を主にやって少しずつ実績を積み上げてきました。会社の一番の転機となったのが、1991年に東京で開かれた第3回世界陸上です。この時に旧国立競技場に当社のウレタンの舗装材がコンペでトップを取り、陸上競技場のトラックに採用されました。これが、業績が大きく上がっていったきっかけになっています。
当時のことを覚えておられる方もいらっしゃるかもしれませんが、カール・ルイスの世界記録が出た大会でして、陸上のトラックの舗装材としては過去になかった、世界でも初めての舗装材をここに導入していただきました。それが、今も当社の売り上げの柱になっています。
会社の歴史の中では、この1991年の世界陸上、2002年のサッカーワールドカップ、2019年のラグビーワールドカップ、東京2020大会と、こういった世界のスポーツビッグイベントで新しい製品が生まれたり、いろんなスタジアムができたりということで、そういったところにも会社として携わらせていただきながら、いまに至っています。これに加え、Jリーグの開幕とともに天然芝が注目され、さらにパークマネジメントを2002年から始めて事業として取り組んでまいりました。
1.2:企業理念
日本体育施設は、全従業員の物心両面の幸福を追求し、
一、お客さまに最高の製品とサービスを提供します。
一、企業価値を高め、心身ともに健康で豊かな社会の進歩発展に貢献します。
これが日本体育施設の企業理念です。
創業時の企業理念は、「スポーツ施設の建設を通じて、健康な社会づくりに貢献する」というものでした。しかし、現在の弊社会長・奥裕之が盛和塾で経営を学び、「本当にいま、会社の従業員は物心ともに満足して仕事をしているのだろうか」、「本当にお客様に喜びや健康を提供できているのか」と、そういうふうに悩んだ結果、創立から42年目に企業理念を新たにし、いまに至っています。
2:私のキャリア
順番が前後しますが、私のプロフィールと、私がどういう歩みがあったのかをお話しさせてください。
私は、大学を卒業して日本体育施設に入り、最初の十年ちょっとは、いわゆる現場監督をやっていました。その後に、設計や製品開発の部署に行き、2023年に社長になります。この間に、いろいろな大きなスタジアムの施工に携わらせていただきました。特に、日産スタジアムや国立競技場などに携われたことが、私にとって大変良い勉強になりました。こうした経験を通じ、陸上競技へのこだわりが、いまも私の中にすごく生きていると感じています。
2.1:原点――「速く走れるトラックを作りたい」
私は、大阪大学基礎工学部の生物工学科で学んでおりました。当時はバイオの勉強をしたくて大学を選んだのですが、大学で陸上をやっているうちに、「どうしたら速く走れるんだろう?」というバイオメカニクスの方向にだんだん興味が寄っていきました。ところが、生物工学科の中にはバイオメカニクスの研究をしているところがありませんでした。ただ、医療用の画像処理をやっている研究室がありましたので、これがきっと将来バイオメカニクスの画像解析などに生かせるんじゃないかと思い、そこで研究をしていました。その後、大阪大学大学院の医学部修士課程に進み、医療用の画像処理や、将来のバイオメカニクスに関係することを学びました。
そうこうしているうちに就職の時期になります。私は、「どうやったら速く走れるのか」ということをずっと考えていましたので、速く走れる靴を作りたいと思うようになりました。最初は靴のメーカーさんを検討したんですが、残念ながらその道は開けませんでした。そんなとき、ある専門雑誌で、「世界記録が生まれた国立競技場のトラックを施工したのが、日本体育施設」という記事を目にしたんです。そこで、「靴がダメだったから、トラックを作ってみよう。速く走れるトラックを作ってみよう」と思ったんですね。ちょっと安直なんですが、当時も本当に真剣にそう思っていた記憶があります。そのまま日本体育施設に電話し、それがきっかけで入社したというのが、入社の経緯です。
この、「速く走れるトラックを作りたい」という想いは、残念ながらまだ実現はできていません。ですが、私がこの会社で仕事をしている一番の根底に、いまもこの想いがあります。私が会社にいる間に実現できるかわかりませんが、これは会社の使命でもあると思っていて、私の原点でもあります。

2.2:強み――陸上競技と建設の交差点
このように、学生時代の陸上の経験が、「速く走れるトラックを作りたい」という入社の動機になりました。その後、現場で経験を積み、設計とか製品開発での経験をしているうち、「自分の強みって何だろう」と思うようになります。速く走れるトラックということもそうですが、陸上競技の経験と陸上競技場の建設――これが自分の「強み」というか、これをどれだけ仕事に生かしていけるかが重要だと、自分の中で腑に落ちたんですね。
例えば、設計する中で設計事務所さんと関わるうえで、自分自身が走っていた経験と陸上競技場の構造がわかるという2つを活かすと、説明がお客様に理解していただきやすいことがわかりました。この2つを活かした積み重ねが、国立競技場の仕事の受注に多少なりとも貢献できた要因なのかなというふうに思います。
国立競技場の施工を終えて今の立場になりました。こうした積み重ねと変化が、今の企業理念や2030年ビジョンと自然に結びついていったというのが、今の私の実感です。

2.3:人の命を守ること――国立競技場での経験
この写真は、国立競技場での2025年9月の世界陸上の様子です。国立競技場に関わることができ、もちろん現場が完成した時も良かったと思いましたが、オリンピックは無観客でした。ですから、このように世界陸上で超満員になった会場を見て、改めて本当によかったなと感じました。
この国立競技場の建設にかかわる経験が、建設業に対する私の考え方を大きく変えました。現場で働く人たちの命や健康をどう守っていくかという問いに、向き合うことになったのです。
建設業はやはり安全第一です。このときの統括所長の方が掲げた言葉が、「働く人の命を守る現場づくり」でした。もちろん、国家プロジェクトで工程・工期は絶対に守らなければなりません。それでも安全が最優先という姿勢が徹底され、いろいろな取り組みをされていました。
たとえば、私も現場をやっていて初めてでしたが、この現場には看護師さんが常駐されていました。産業医さんも週に一回現場に来て、職人さんが相談に乗れるような体制を作り、働く人たちの気持ちの面も含めてフォローできるような現場になっていました。他にも、トイレを全部ウォシュレットにするとか、シャワールームがあるとか、そういう職人さんのことを考えた現場の運営、現場作りをなさっていたんです。「働きやすい環境を作ることが、安全、最終的には生産性の向上につながる」というのが、所長の考えで、まさにお手本のような現場でした。
日本体育施設にとっても、安全ということに限らず、「人の命、働く人の命を守るというのが安全管理なんだ」ということを学ぶ、本当にいい機会になったと思います。

3:社会の変化とSDGsへ向けた取り組み
3.1:スポーツ基本法の改正
2025年6月、スポーツ基本法が改正されました。スポーツの世界も、「スポーツを振興する」という考え方から、「スポーツで社会の課題を解決していこう」という方向に変わってきています。改正法には、スポーツを通じた生きがい・幸福・豊かさの実現、健康・地域・社会課題の解決といったキーワードが盛り込まれるようになり、スポーツ施設に関しても、さらなる整備・拡充や、既存施設の統合・有効活用、安全や気候変動などが法律に盛り込まれるようになってきました。


3.2:環境・健康に配慮した製品の取り組み
これは、当社がスポーツ施設づくりを通じて取り組んできたことと、方向性を同じにするものだと受け止めています。当社が現場でどのような取り組みを実装しているのか、いくつかご紹介します。
フィールド冷却細霧システム
街の中でもミストが出ているところを見かけることがあると思いますが、当社の「フィールド冷却細霧システム」は、これをグラウンドの地中から噴出させる仕組みです。実は20年前からある技術ですが、昨今の夏場の猛暑を受けて採用が増えています。
屋外の空間の温度を下げるのは簡単ではないのですが、環境省の事業で効果を実証しており、グラウンド表面温度を最大20℃程度下げることができます。大学の先生と協力した研究では、夏場でも練習強度を下げずにプレーができ、子どもたちの競技成果にもつながることが確認されています。こうしたところでも、スポーツ環境を少しでも改善しようという取り組みをやっております。

環境対応型ウレタン舗装材「レオタンαエンボスSF」
陸上トラックに使うウレタン樹脂には、かつてはどうしても発がん性物質を含むものが使われていました。当社は、化学メーカーと共同でこれを一切使わない材料を開発し、昨年の国民スポーツ大会(滋賀県)で初めて採用していただきました。施工する作業者が発がん性物質を扱うリスクをなくすことで、作る人の健康を守ることにもつながった事例です。

マイクロプラスチック捕捉集水桝
4〜5年前、「海に流れ込むマイクロプラスチックのかなりの割合が、グラウンドの人工芝由来だ」という報道がされ、大きな問題になりました。とはいえ、人工芝をなくすわけにはいきません。そこで、外に流さないようにするために、「グラウンドで出たものはグラウンドで回収・処理する」と発想して開発したのが「マイクロプラスチック捕捉集水桝」です。

国産ヒノキのおが粉を使った人工芝
人工芝の充填材として使っていたゴムチップを、天然素材に置き換えられないかと探す中で、奈良県吉野のヒノキを扱う製材所さんとご縁が生まれました。国産のヒノキの、――おがクズじゃなくておが粉(おがこ)と呼んでいるんですが――このおが粉を充填材として使った人工芝で、環境省ETV事業での実証では、グラウンド表面温度が従来型比で11.1℃低下することが確認されています。ただ温度が下がればいいだけではなく、競技場の舗装材としての性能も当然求められます。そういったところも十分考慮して開発しています。

4:企業理念と2030年ビジョン
4.1:企業理念の重要性
改めて企業理念をご覧いただきます。
日本体育施設は、全従業員の物心両面の幸福を追求し、
一、お客さまに最高の製品とサービスを提供します。
一、企業価値を高め、心身ともに健康で豊かな社会の進歩発展に貢献します。
ここまでご紹介してきたように、スポーツ環境を取り巻く状況が大きく変化しており、私には国立競技場をはじめとしたさまざまな学びがありました。そして、社長になりいろいろ悩み考える中で、世の中の流れと当社の企業理念、いま会社がやろうとしていることが一致しているんじゃないかと思うようになりました。
健康で幸せに生きることは、人々の共通の想いです。その実現や社会課題の解決に、スポーツを通じて貢献できるということが、日本体育施設が経営をしていく中で非常に大切なものなんだということを、正直、やっとこの立場になってわかってきました。自分の経験と企業理念が、だんだん一つになってきたというふうに感じています。

4.2:2030年ビジョンの策定の背景
2030年ビジョン「もう一歩先のフィールドへ 人と技術で未来を”健”設する」を策定しました。
私が2023年に社長になった時、小松前社長からこう言われました。この言葉が、プロジェクトの出発点になりました。
改めて企業理念をご覧いただきます。
社長になっていろいろ悩みも多いとは思けど、とにかく自分らしくやれよ。みんなで何か目指すものをきちっと、今の世代が中心になって考えてみろ。そうしないと、お前がいくら頑張ってもみんながついてこないぞ。もう自分たちはいいから、お前らの世代で考えてみろ。
2030年ビジョンには、「”健”設」という言葉が入っています。「建設」の「建」を「健康」の「健」に替えたものです。このもとになったのは、私が社長就任時の所信表明で社員に伝えた、「使う人の健康も作る人の健康も守りながら、健全なスポーツ施設を提供し、健全な経営を持続する」という言葉です。プロジェクトを進めるなかでメンバーがこの言葉に共感し、ビジョンとして掲げることになりました。
スポーツ基本法にあるように、スポーツ界にはさまざまな課題があります。気候変動の影響を受けた暑熱問題や施設の課題は深刻です。一方、建設業にも人手不足、長時間労働、労働災害など多くの課題があります。それでも、安心して働ける環境を作っていかなきゃいけません。スポーツ界の課題と建設業の課題、日本体育施設はその両方に向き合い、自社の強み——実績・ブランド・技術・人材——でどう解決するかを考えながら、ビジョンを策定してきました。


4.3:全社員アンケートから生まれた共感
プロジェクトの中で、全社員125人にアンケートを取りました。「日本体育施設の強みは何か」「どういう会社を目指すべきか」を問うものです。7割ぐらい返ってくればいいかなと思っていたところ、120人から回答がありました。これだけ真剣に会社の将来を考えている社員がいることを実感し、非常に嬉しく思いました。
結果を見ると、強みとして「技術力・ノウハウ・品質」「顧客からの信頼」が上位に来ていました。「目指すべき姿」として最も多くの票を集めたのは「働く環境が良い企業」でした。「もっと他社と差別化できるような技術を作っていきましょう」とか、「もっと大きな会社にしてほしい」というような意見も出ます。じゃあ、そのためにどうしたらいいんだと議論を深めていくと、最後はいつも「人」に収斂していきます。ですから、働く環境の改善だけでなく、「人を大事にして、みんなで一緒に良くしていこう」という方向に向かっていきました。
4.4:8つの戦略とロードマップ
2030年ビジョンの策定にあわせ、具体的な戦略を定め、ロードマップを作って進めています。発表の際には役員・幹部から、「総花的すぎて実現できるのか」、「抽象的すぎるから具体化が必要だ」、「ここに魂を込めていくのが社長の仕事だ」とご指摘をいただきました。一年半考えてきたプロジェクトのメンバーには複雑な反応もありましたが、一度にすべてはできません。まず取り組まなければならないのは、人に関わる部分だろうと、優先順位を絞り込んで始めています。
生産性向上プロジェクトと人員体制強化プロジェクトを紹介します。ここでは、できるだけ多くの社員に参加してもらい、自分事としてこのビジョンを捉えてもらいたいという思いがありました。実際に、若い社員たちも多く参加してくれており、「何をやっていこうか」、「どうすればいいんだ」と試行錯誤しながら、この約一年で取り組んできました。
また、現場支援チームでは、現場任せの安全管理ではなく、本社の社員が定期的に現場を巡回し、客観的な目で安全状況を確認・是正する体制を作りました。ここには、専属の社員を配置しています。
みんなそれぞれの現場や部署で普段の仕事をしながら参加してもらっているものですから、すでに成果が出てきているものもあれば、まず課題を整理して具体的にはこれからという段階のものもあります。ただ、みんな一生懸命向き合ってくれています。
4.5:ビジョンのイメージ——「みんなで山を登る」
ビジョンをもう少しビジュアル的に表現したのがこれです。会社としては100億を達成して、外から見た業績は良くなった。でも、アンケートの結果や管理職の皆さんからのヒアリングを踏まえると、まだやっぱり事業基盤の裾野が狭くて、少し不安定な会社だということがわかりました。人手不足や技術の伝承の難しさがあり、今のまま、ただただ売り上げを伸ばそうとすると、どこかで本当に会社として揺らいでしまうという危機感がある。特にプロジェクトを進めているメンバーには、「次の世代につなぐということを、今の世代でやろう」という想いが共有されています。
ですから、もっと会社の基盤をしっかりと健全なものにして、裾野を広くした上で、より高いところを目指していこうとしています。そのために、働いている人と使う人の健康、達成感、やりがい、それから感動といったものを少しずつ経験し積み重ねながら、高い山をみんなで一緒に登っていこうというようなことをイメージしています。

おわりに
2030年ビジョンは2024年12月13日に全社員へ発表しました。発表から一年ちょっと、まだまだ途中です。2030年まであと5年を切りました。その都度見直すべきところは見直しながら、全社員でこの山を登っています。
振り返れば、社長になって特に最初は、本当に夜が眠れませんでした。夜中にうなされることもあり、家内に心配をかけることもありました。経営的な判断をしなければならない場面で、何を根拠に決めればいいのかわからなかった。過去のことを気にしたり、この先が大丈夫なのかと不安になったり。こういう社長さんはたくさんいらっしゃるんですよね。
でも、三年ぐらい経ったいま、ようやく企業理念や2030年ビジョンが軸として腹落ちしてきました。経営的な判断に悩んだとき、結局は企業理念に立ち返り、「企業理念はこうなんだから、こういうふうに判断すべきだ」と考えることでやっと集中できるようになり、気持ちが落ち着いてきました。もともとは「速く走れるトラックを作りたい」という想いから始まり、「陸上競技と建設の掛け算」という気づきを経て、今は使う人・作る人の健康を考えるところまで来ました。そうした過程を経て、やっと企業理念と一つになってきたと感じています。
そうは言っても、いろいろ考えることもありますが、私がぶれると社員のみんなもぶれます。私は、企業理念を軸として、ぶれない経営判断を続けていくことが大事です。私があと何年やるかわかりませんが、企業理念とこの2030年ビジョンを通じて、次の世代が安心して仕事をできる環境づくりを進めていきたいと思っております。
以上でございます。ありがとうございました。

記事作成:
小林桜輔
日本SDGS協会学生事業部/一般社団法人全国学生就活支援会
芝浦工業大学工学部3年
今回のイベントを通して、SDGSの目標を達成していくのに必要なことは、目の前の課題解決にいかに向き合うかだと感じました。周りの人感じる課題や、環境による問題をまず、身近なことから考え改善に向けて取り組むことが、僕たち若者がSDGsに貢献できることだと思いました。
世の中に広まりつつある「SDGs」を、若者を代表して最前線でより認知拡大に努めていきたいです。